2012年10月25日 星期四

現實的戀愛(生きるための恋愛)


文/宮本百合子

有沒有像這樣的一個問題,是可以提供給我們深思的,是像Bourgeois雜誌每期不可錯過的澤山專欄──「新時代的幸福、戀愛與婚姻問答集」,或是寫《赤旗》一詩的詩人兼社會運動家西澤隆二也登載過「受歡迎的戀愛講義」的文章嗎,然而這些關於戀愛論、婚姻論等的作品卻必須為今日所出現的問題負起責任;所謂的幸福,並不是那些在市內販賣的書籍可以涵括概括的。不幸的我們在現今充滿現實、矛盾與鬥爭社會中努力生活著,但仍相信這其中有我們所感受到的幸福與通往幸福的道路。


女性因舊時的壓抑而被剝奪自己選擇結婚對象的權利,雖然現在的日本社會已經慢慢實現了女性戀愛自由的風氣,但那些不努力工作、不努力以己之力往自己的人生道路前進的「保守女性」,仍舊渴望尋找著衣食無缺,生活得舒適自在的對象,即使沒有愛但也可以結婚,那這和不希望父母干預、希望自己找尋結婚對象的情況是一樣的嗎?我從不這麼認為。

在為了現實的食衣住行而忙碌、無任何自由的苦日子裡,如果仍有努力與這樣的苦日子奮鬥、願意改善社會中存在的矛盾因素的年輕女性,也不會排斥選擇市集中的攤販做為結婚對象吧。

不愁吃、有頭有臉、穿著絲綢襪子的人,難道他就會是最適合你的另一半嗎?所謂的「愛」,就如同它的寫法一樣,不論是愛人、愛生活,都是要建立在「心」上面的,男女雙方都要互相有情感的交流,以前那種「不管生活多麼艱苦」的那種共患難情誼、即使是貧乏也懷有希望,然後對於未來生活的展望也有共識、互相幫助、一起對抗不幸、談論有實質意義的,關於幸福的理念,不應該是這樣的嗎?

年輕的女性在戰爭期間,在這樣的幸福破滅的環境下生活著,如果這時有一個外表看似幸福的「機會」,而考慮以自己的幸福去換取它,我認為那樣就有些悲慘了。

愛是股創造的力量,是有能力創造出喜悅來撫平苦痛的東西。現今的主婦身上皆負著家事的重擔,而害怕未來持家的辛勞的年輕女性們,則被一起步入婚姻的認真的男性們視為自己的不幸之一。

對戀愛中的男女來說,應該要齊心努力度過社會上的磨難,共同前進,而下定決心,對於發展彼此愛情不要倦怠。

為了變得幸福而結婚、為了結婚而戀愛,這就是所謂看似有理卻又無理的東西吧。我們因為心中互相萌生好感而相愛,也因為是所愛之人而想結婚。因為想要幸福地生活著,並守護著我們的愛,所以在社會上努力著,希望增進自己的社會條件。

我想我們都必須知道,人生中真正的「幸福」,就是讓我們在社會上努力的一切動力來源。                                                             (19477月)

-------------------------------

生きるための恋愛

宮本百合子


 こういう質問が出ることはわたしたちに深く考えさせるものがあります。ブルジョア雑誌は毎号かかさないように新しい時代の幸福とか恋愛とか結婚の問題をとりあげて沢山のページをさいています。『アカハタ』にはぬやま・ひろしの「大うけだった恋愛談義」という見出で記事がのりました。それらの恋愛論はそして結婚論は今日こういう問が出てくることに対してどういう責任を負うのでしょう。幸福というものはできあい品となってヤミ市に売っているものではありません。わたしたちを不幸にしている今日の現実の社会の矛盾と闘って人間らしい生活を組立ててゆこうとしている、その建設のうちにわたしたちの感じる幸福と幸福への途があります。
 女性の古い抑圧がとりさられて自分の判断で結婚の相手をえらび、また恋愛をする人間らしい自由が日本の社会にもだんだん実現してくるということは、自分で働き自分で人生の道を進んでゆく力のない昔の女が、どうせ愛情もなしに結婚するならばちょっとでもくらしの楽な身分のいい相手をみつけようとしてあせったその同じことを、こんどは親の手ばかりわずらわせず自分でさがしまわるということでしょうか。決してそうは思えません。まだまだ生活の実際では主食のことから住居のことからまったく自由でない苦しい生活のなかで、その苦しさと闘いながらすこしでも苦しさの原因となっている今日の社会の矛盾を改善してゆこうと努力する若い婦人であるならば、恋愛の相手としてヤミ屋の親分がえらべましょうか。食うに困らず、顔がきき、絹くつ下にも困らないからといって、そういう人の最善の愛人でありうるでしょうか。恋愛ということは字が示す通り、人間と人生を愛する心のうえにたって、男と女とが互いにひかれあう感情です。昔の人が手鍋さげてもといったその感情は、とぼしいなかにも二人が希望のある、そして見通しのある生き方をみとめあって、たすけあって不幸と闘ってゆくその幸福をいみした言葉ではないでしょうか。
 若い婦人が戦争の間、あれほど幸福をうちやぶられてくらしてきたのに、まだ幸福というものが一つのきまった箱のようにどこかにあって、それを自分のものにするかしないかというふうに考えているとすれば、あんまり悲惨なことだと思います。愛は創造の力です。苦痛をのりこえてそこによろこびをつくりだしてゆく能力をもつものです。今日の主婦のすべてが経験している家事の重荷、これから結婚しようとする若い婦人たちをおそれさすほど重い世帯の苦労は、まじめなすべての男子が自分たちの不幸の一つとして見ているものです。愛しあった男女というのは、その社会的な苦労を、自分たちの一生の努力で社会的に少くしてゆこうと心をあわせて進んでゆく、そこに決して、倦怠の生じないような愛の発展を生むでしょう。
 幸福になるために結婚する、結婚するために恋愛する、これはなんていう理屈っぽいような理屈にあわないことでしょう。わたしたちは互いに生きてゆく心のうえで気があうからこそ愛すのです。愛する人間同士だからこそ、結婚もしたいのです。幸福に生きてゆきたいからこそ、その愛をまもり、発展させてゆく社会的な条件をふやそうとして努力するのです。わたしたちはこの人生において自分たちの幸福を、自分たちの生きる力こそがつくってゆくものであることを、腹から知らなければならないと思います。

〔一九四七年七月〕

原文出處:

沒有留言:

張貼留言