2012年10月25日 星期四

魚的憂鬱(魚の憂鬱)


文/薄田泣堇  

來到池畔邊,如油花般的春光浮在墨綠色的水面上閃閃發亮著。只見水底叢生的藻類向外撥開,一尾碩大的鯉魚緩緩從中游出。牠看起來似乎不太高興,向四周看了看後,不久又慢慢地隱身於水藻中。
看了那幅景象,讓我想起以前曾吸引過我的一幅中國繪畫中,那尾不可思議的魚……
我在年少的時候,時常外出釣魚,有時候如果想釣鯽魚,就會乘著小船在村裡的池塘上浮著。


那天不知道是怎麼了,怎麼都釣不到魚,我實在是忍不住,就立刻朝著在水下約三寸深的魚兒丟下魚鉤,當我硬是想把餌湊到魚的面前時,突然被不明物嚇到,於是直盯著水深處。
先前一直被雲遮住的春陽,瞬間朝這裡綻放出光芒。微濁的水中,長長的青藻漂浮著,下面一尾全黑的大鯉魚緩緩露出半身來。那鯉魚彷彿戴著鋼盔似地鐵著一張臉,有著一雙無懼於人的目光。我看著它,總覺得令人生畏。
「說不定是池中的精靈。」
一想到多年來棲身在水草中,無法盡情奔躍於外面廣闊的天地,只能受限於這受詛咒的池中扭著身體游來游去的老魚,其生活中的倦怠與憂鬱等等,我幼小的心靈就感到壓迫。於是,我打消釣魚的念頭,匆忙地將船駛回岸邊。
河裡的魚兒們,總是活蹦亂跳的,那樣的姿態讓我覺得既美麗又柔韌,因而習慣將牠們當作朋友般來親近。但這古池裡的鯉魚,僅瞥見到牠們冷淡、令人畏懼與憂鬱的半面,就讓我十分震驚。
我在那之後,不知道為什麼變得喜歡魚的繪畫,也盡可能地欣賞所有畫家的畫作。尤其是曾任畫院侍詔、人稱「范獺子」的范安仁以遊魚圖聞名,此外應舉、盧雪、崋山等人的著名作品也曾見過。但他們的畫多是描繪愉快的魚的動作姿態,以及在流水中自由自在的生活;而不論是哪幅作品,都無法體驗到那天我在古池中所見到的那尾棲身於淡水的老魚所有的倦怠及陰鬱神情,這就讓我覺得有些美中不足了。只有一次,我在吳靈璧不是很好的作品中,看到與眾不同的畫作:把鯉魚醜畫成水中的妖精或其他東西,讓我覺得很有趣。雖然不知道畫者是個怎樣的人,但多數畫家都只以表現出生命蓬勃的魚類為題材,他卻順著自己的想法,充分表現出我喜愛的怪誕詭異感,令我到現在仍無法忘懷。

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魚の憂鬱

薄田泣菫


 池のほとりに来た。蒼黒い水のおもてに、油のやうな春の光がきらきらと浮いてゐる。ふと見ると、水底の藻の塊を押し分けて、大きな鯉がのつそりと出て来た。そして気が進まなささうにそこらを見まはしてゐるらしかつたが、やがてまたのつそりと藻のなかに隠れてしまつた。
 私はそれを見て、以前引きつけられた支那画の不思議な魚を思ひ出した。

 私は少年の頃、よく魚釣に出かけて往つた。ある時、鮒を獲らうとして、小舟に乗つて、村はづれの池に浮んだことがあつた。
 その日はどうしたわけか、釣れが悪かつた。私はやけになつて、すぐそこを游いでゐる三寸ばかりの魚を目がけて鈎を下した。そして無理やりに餌を魚の鼻さきにこすりつけようとして、ふと物に驚いて、じつと水の深みを見おろした。
 今まで雲のかなたに陰つてゐた春のは、急にぱつと明るくそこらに落ちかかつて来た。ささ濁りに濁つた水の中に、青い藻が長く浮いてゐて、その蔭から大きな鯉が、真黒な半身はんみをのつそりと覗かせてゐるではないか。鋼鉄の兜でもかぶつたやうなそのしかめつ面。人を恐れないその眼の光。私は見てゐるうちに、何だか不気味になつた。
「池のぬしかも知れない。」
 さう思うと、水草の蔭に、幾年と棲みながらへて、岸を外へ、広い天地に躍り出すこともできないで、絶えず身悶えして池を泳ぎまはり絶えず限られた池を呪つて来た老魚の生活の倦怠と憂鬱とが、私の小さな心を脅かすやうに感じられて来たので、私は魚を獲ることなどはすつかり思ひとまつて、そこそこに舟を岸に漕ぎ戻したことがあつた。
 河魚といへば、いづれも新鮮な生命にぴちぴちしてゐて、その姿をしなやかな、美しいものとのみ思つて、友達のやうな親しみをもつて遊び馴れて来た私に、この古池の鯉は、彼等の持つ冷たい不気味さと憂鬱との半面を見せてくれるに十分であつた。

 私はその後、どうしたわけか、魚の画が好きになつて、出来る限りいろんな画家のものを貪り見たことがあつた。画院の待詔で、遊魚の図の名手として聞え、世間から范獺子と呼ばれた范安仁をはじめ、応挙、盧雪、崋山などの名高い作物をも見たが、その多くは愉快な魚の動作姿態と、凝滞のない水の生活の自由さとを描いたもので、あの古池の鯉が見せてくれたやうな、淡水に棲む老魚の持つ倦怠と、憂鬱と、暗い不気味さとは、どの作品でも味はふことができなかつたのを、幾らか物足らず思つたものだ。たつた一度、呉霊壁のあまりすぐれた出来とも思はれない作品に、あり来りのそれとはちがつて、鯉を水の化生か何かのやうに醜く描いてゐるのを見て、おもしろいと思つたことがあつた。作者はどんな人かよく知らないが、多くの画家が生命の溌刺さをのみ見てゐるこの魚族を取り扱ふのに、彼みづからの見方に従つて、グロテスクの味をたつぷりと出したのが気に入つて、いまだに忘れられないでゐる。

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